ダルマチア‐ドゥブロヴニク
この世の天国
城壁は価値の高い財宝を守るために建設されるのが世の常ですが、ドゥブロヴニクでは、まさにそれが体現され、長さ1940メートルも の石壁が、世界でも最も美しい街のひとつを取り巻いているのです。
この「アドリア海の真珠」は、何世紀にもわたって、気品あふれる中世建築で王侯貴族や芸術家たちを魅了し、とりこにしてきました。あ なたにはどうですか?
どこへ行きます
昔の船長たちの 散策ルート
昔の船長たちの活躍したルートをたどる道は、波乱の歴史と自由を求める彼らの闘いの場でした。この地方では、交易と航海、海運が古代から盛んで、人々の暮らしは、常に海や川と共にありました。船長たちの揺籃の地、ペリェシャツPelješac半島のオレビッチOrebićにある海洋博物館や、マルコポーロの生まれ故郷コルチュラKorčula、さらには、独立共和国の歴史が長い都市ドゥブロヴニクで、いにしえの航海のふるさとを訪れましょう。そして、その大切な伝統は、現代でも海港プロチェPločeや内陸の河川港メトゥコヴィッチMetkovićで続いているのです。このエリアでは、自然は、川と海、カルスト台地と低地、そして湖と湿地が出会うネレトヴァNeretva川デルタ地帯や、ルネサンスの雰囲気と多様性を残すコロチェップKoločep島、ロプッドLopud島、シパンŠipan島からなるエラフィティElafiti諸島、落ち着いたたたずまいの沃野の続くコナヴレKonavle地方のようなみごとな景観を創り出しています。さらに、外洋に目を向ければ、そこはかつて熾烈な戦いが繰り返され、自由が守られ、商船が帆をあげて高波を乗り越えて進んだところなのです。
ステチュツィ―中世の墓石碑群モニュメント
通称「ステチュツィstećci」と呼ばれる中世の墓石碑群モニュメントは、通常、石灰岩を切り出して作られた、長方形で上面が平らか三角屋根の形状になっており、一枚岩を横置きにしたバージョンと直立バージョンの両方があります。
ドゥブロヴニク旧市街
ユニークな政治的文化的歴史と、世界的にも有名な建築物に恵まれ、ドゥブロヴニクがユネスコ世界遺産であることは、なんら不思議ではありません。地中海域で最も魅力的で知名度の高い街のひとつで、優美な自然美と保存状態のよい歴史文化遺産は、幅広い観光施設やサービスとあいまって、多くの人々を惹きつけてやみません。
ムリェトゥ国立公園
アドリア海域でも有数の豊かな森林に覆われた島、ムリェトMljet島西部に位置するこの国立公園は、深い湾、大湖、小湖、うっそうと茂る多様な地中海性植生と豊かな文化遺産で名高く、大湖に浮かぶ島には、十二世紀のベネディクト会修道院が静かにたたずんでいます。
キングズ・ キングズ・ランディング、高巣城(ストン)(Ston)
キングズ・ランディングは、最大の艦隊を全滅させ、七王国でもっとも不屈の軍隊をもあきらめさせた強大な壁で、敵たちに恐怖と畏怖の念を刻み込んできました。
キングズ・ クァース (ロクルム島)(Island of Lokrum)
同盟相手を求めて何日も旅をしなければならなかったデナーリス・ターガリエンとは違い、貿易都市クァースの撮影現場となったロクルムLokrum島へは、ボートでほんの10分で行くことができます。
キングズ・ タイレル(ハイガーデン)(トゥルステノ樹木園 )(Arboretum of Trsteno)
ウェスタロスでは、存在し得るあらゆる武器の使用が許されています。それは、サーセイ・ラニスターがかつて雄弁に語ったように「王座争奪戦をするときは、勝つか死ぬかのどちらか」だから。
キングズ・ランディング
キングズ・ランディング は実在していた… それだけではなく、その通りに実際に足を踏み入れることができるのです!ドゥブロヴニクの壮観 な町並みでは、ブラックウォーターの戦いのシーンが蘇り、不死者の館を訪れることができるだけでなく、身を乗り出して 夢中になる第五章のフィナーレを自分自身で再現することもできるのです!
コナヴレ-クロアチアの最南端
コナヴレ地方はクロアチアの最南端、現在のドブロブニクリヴィエラの南東に 位置しますが、その地方を15世紀に購入したのはドブロブニク共和国で、その 土地を手に入れて自分のテリトリーを固めました。
ナロナ考古学博物館
メトゥコヴィチMetković近郊のヴィドVid村、古代都市ナロナNaronaには、聖ヴィトゥス小教会、バレ初期キリスト教教会、初期キリスト教バジリカ聖堂群や市壁、古代ローマ広場とアウグストゥス神殿など、この地域の歴史的遺産が最もよく表現されています。
パシャチャ・ビーチ
このこじんまりとしたアクセスの難しいビーチと、コナヴレ地方の砕けつつある岩崖の下に広がるターコイズブルーの海は、フォトジェニックな美しい景色でいっぱい。ソーシャルネットワークに、#Pasjačaが頻出するのも、不思議ではありません。
かつてドゥブロヴニクDubrovnikは小さいながらも地中海で主要な位置を占める海運通商国家で、世界の80以上の都市に領事館を置き、ヴェネツィアに匹敵する700隻の商船を保有していました。聖ヴラホの守護を受け、騎士オルランドOrlandoの石柱に翻るリベルタスの旗印の下、ドゥブロヴニクはユニークな姿を見せています。目抜き通りプラツァ(通称ストラドゥンStradun)は、何百年ものあいだ人々の通行により磨かれた石畳が滑らかに輝いています。市壁や要塞の上からは、エラフィティElafiti諸島の姿を望むことができ、これらシパンŠipan、ロプドLopud、コロチェプKoločepなどの島々は紺碧の海面に真珠のように浮かんでいます。ここにはかつて鹿が棲んでいたので、鹿を意味するラテン語Elaphosから、エラフィティと名付けられました。美しい砂浜に囲まれて、亜熱帯植物、松林、オリーブ林が続く景観は、昔のままの地中海そのものです。
マルコ・ポーロが、この生まれ故郷の島からterra incongnita(未知の土地)へ向け旅立った頃、古代ギリシャ人の植民集落から騎士道時代の町に変貌しつつあったコルチュラKorčulaは、一種の石造都市計画にゆっくりと取り掛かっていました。地元の建築家の巧みな設計は、実に興味深い通路の構造を今に残しています。旧市街の通路の配置が魚の骨状の構造になっているため夏は快適です。朝夕は黄金色の太陽が照りつけるものの、日中は暑さがそこを逃げていくのです。コルチュラの雰囲気を味わってみたいとお考えなら、七月の風に乗っておいでください。国際歌謡ワイン祭、騎士トーナメント、16世紀の衣装をつけた剣舞などのイベントが待っています。モレシュカという剣舞は、白王と黒王の闘いがモチーフの群舞劇です。
オレビチOrebićの町は、コルチュラの町を対岸に望む18世紀の海運の中心地ですが、美術史家にも興味ある土地です。石造邸宅や別荘の玄関は船乗りたちの栄華の跡を見せており、その庭には彼らが何世紀もかけて世界中から持ち帰ったエキゾティックな樹木や植物が茂っています。オレビチは、実に記憶に残る町です。
ある島で妖精カリプソに捕われたオデュッセウスの伝説を聞き、名高いオギギアとはどんな所だろうかと思い巡らす人は、ムリェトMljet島に行かれることをお勧めします。クロアチアの南部にあるこの島では、世界で最も美しいおとぎ話の本に載っているような風景に出会うでしょう。島の中に湖があり、その湖の中に小島があって、そこに12世紀の修道院が静かに佇んでいます。カリプソは現れないかもしれませんが、この情景はあなたの心を捉え、そこを離れたくなくなるかもしれません。